沿革

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 興楽会は、府中刑務所長を退官した根田 兼治氏が、私財を投じて、 現在地である「武蔵国北豊島郡上板橋村字原に創設されたものである。 勤労精神を培い、技能を習得することの重要性に鑑み、授産施設として木工場を併設した。
 創設当時の敷地は、165坪であったが、昭和25年には350坪となっており、さらに、その後、耕作地270坪が加わり拡大されている。
 なお、その間の昭和25年6月19日に高松宮殿下が当会を視察されております。 昭和27年に収容定員が13名から20名となった。初代理事長、2代目理事長とも、 町内の街づくり等に積極的に貢献されており、そのようなことも影響してか、 地域住民が要望している保育園の誘致設立のため、当会所有の耕作地を昭和42年板橋区に譲渡し、 「板橋区立ときわだい保育園」と「常盤台児童館」が設立されたが、 平成28年3月31日付けで同児童館は、廃止となった。
 その後、日本自転車振興会の補助金を受け、昭和44年3月施設の全面改築(「旧館」建設)を終了し、 同44年4月2日に増改築落成式が行われた際、当時の塩野(宜慶)保護局長から、 祝辞を戴いたのですが、 その中で『私の亡き父が当会とは御縁も深く「興楽会」の名付け親となっていると承り、~~~感慨深いものがあります。』 と述べられております。
 そして、令和元年度、更生保護法人更生保護事業振興財団の助成金及び日本自転車振興会の補助金を受け、改築工事を開始し、 令和2年2月、「新館」が完成し、同年4月5日、「新館」への引越しを行いました。

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